Wednesday, 4 January 2017

原理主義、過激派という言葉遊び

 昨日もトルコのテロに関して「あれはイスラム原理主義だから普通のイスラム教とは違うからね」と言っている人がいた。でもこれは間違っていて別に普通のイスラム教とイスラム原理主義は宗派が違うわけでもなくその間には明確な境目はない。イスラム原理主義の定義は「イスラム教に沿って社会が構築、運営されるべき」という思想であって結局熱心な信者になってしまえばそう思うのも無理もないわけだから、普通の信者と熱心な信者との間に境目がないように原理主義と非原理主義の間には明確な垣根がないのだ。昨日は非原理主義で今日から原理主義みたいな曖昧なものである。同じくあれはイスラム過激派だからという言葉もそうである。別に過激派と非過激派も宗派が違うわけではなく、ある団体や人が原理主義まで到達して過激なアクションをした後にイスラム過激派と呼ばれるわけだから過激なことをする前日は普通派なのだ。いずれも今現在穏健なイスラム教徒を保護するために生まれたレトリック、言葉遊びだと思う。僕はそういった現実の歪曲が難民、移民問題などの危険を招くと思っている。事実の正しい認識が必要だ。

 イスラム教に限らず宗教って熱心に信じれば信じるほど他の宗教、文化に対して排他的になるものでほんとに危険のタネだと思う。適度に信じていれば良いんだろうけど適度で止まる保証はないからねえ。